ニュージーランドの本

児童文学を中心に、ニュージーランドの本(ときどきオーストラリアも)をご紹介します。

★Chappy(仮題『チャッピー』)

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【基本情報】
書名:Chappy(仮題『チャッピー』)
*2016年 Ockham ニュージーランド図書賞最終候補作品
著者:パトリシア・グレイス(Patricia Grace)
版元:Penguin Random House NZ  出版年月:2015年5月
ISBN:9780143572398  ページ数:256  読者対象:大人

*試訳(部分訳)あります

【概要】
 1930年代、マーオリ人船員のアキは、餓死寸前の日本人密航者を介抱し、実家に連れて帰った。チャッピーという愛称をつけられたこの日本人は、マーオリのコミュニティになじみ、アキの義理の姉オリウィアと結婚して温かな家庭を築くが、真珠湾攻撃を知った日に姿を消す——。戦争や社会の変遷を背景に、マーオリのアイデンティティや、民族を超えた絆を描いた小説。

 【主な登場人物】
ダニエル…ヨーロッパで生まれ育ち、大学をドロップアウトして、母の故郷ニュージーランドを訪れる。
オリウィア…ダニエルの母方の祖母。マーオリ人。ティールームを営む。
チャッピー…ダニエルの母方の祖父。日本人。
アキ(ティアキフェヌア)…オリウィアの幼なじみで義理の弟(ダニエルの大叔父)。マーオリ人。

【あらすじ】
〈プロローグ〉
 時代設定は1980年代半ば。デンマーク人の父とマーオリ人の母のもと、スイスで生まれヨーロッパ各地で育ったダニエルは、4言語に堪能で読書好きな青年だ。しかし、やりたいことを何も見つけられず、大学をドロップアウト。自暴自棄になっていたとき、ニュージーランドの祖母に会いにいくことを母親に提案される。故人となった日本人祖父チャッピーのことを含め、これまでほとんど接点のなかった親族のことを学んできなさいという言葉に従い、ダニエルはニュージーランドへ渡る。母の故郷である北島南西部の町で、小さなティールームを営む祖母オリウィアと、近くの森の中で独居する大叔父アキの2人が、自分の人生をふりかえるようにして、チャッピーのことを語ってくれる。

〈チャッピーの人生〉
 チャッピーがニュージーランドにやってきたのは、1930年代後半のこと。日本軍の兵士として中国に送られていたが、反戦の思いが強く、負傷して日本の病院に収容された時に脱走する。ブローカーの手配でアメリカに渡るも入国できず、命からがら密航した船の中で餓死寸前になっていたところを、船員だったアキに救われた。船がウェリントンに到着すると、そのままアキの故郷に連れていかれ、住み着くことになったのだ。
 本名は最後まで明かさなかったこの “little chap from Chapan” は、「チャッピー」と呼ばれ、アキの家族の一員とみなされた。マーオリ語も覚えてマーオリのコミュニティに順応し、2年ほど経った頃、アキの義理の姉オリウィアと結婚。2人の娘をもうけ、慎ましくも幸せに暮らしていたが、真珠湾攻撃のニュースを知った日に、自ら姿を消す。しばらく放浪した後、敵国人として収容所に送られ、その後日本に強制送還されて音信不通となる。終戦から10年以上が経った1950年代後半、アキの船員仲間であるインド人を通じて消息がわかり、アキとチャッピーは東京で再会する。オリウィアと娘たちを愛し続けていながら、日本人である自分の存在は不幸を招くと考え、チャッピーはニュージーランドに帰ることを拒否する。
 戦前にハワイの女性と結婚してハワイに移住していたアキには、輸入業を営む日系人の親戚がいた。チャッピーは彼のアシスタントに抜擢され、ハワイに移り住む。それから十年以上の歳月が流れる間には、オリウィアたちがハワイに来たこともあったし、冠婚葬祭のためにチャッピーがニュージーランドを訪れたこともあった。体が丈夫でないチャッピーには温暖な気候が合うと判断したオリウィアが、しばらくハワイで暮らしたこともあった。しかし時がたつにつれ、チャッピーはニュージーランドの故郷への思いを募らせるようになる。また、ニュージーランド入国のネックとなっていた国籍や不法滞在歴の問題も解決方法が見つかり、ついに帰国。オリウィアとの暮らしを取り戻す。

 語られるのはチャッピーのことだけではない。チャッピーについて語るオリウィアとアキの人生も同時に語られ、ダニエルの心に響いていく。
〈以下略〉

【解説・感想・評価】※結末にふれています
 パトリシア・グレイスが、長編小説としては10年ぶりに発表した作品。日本人男性チャッピーのモデルは、グレイスの夫の故郷に実在した人物だ。マーオリの女性と結婚して商店を営んでおり、地域の人々に愛されていたが、第2次世界大戦中に敵国人として捕らえられ、収容所に送られた後、日本に強制送還されたという。その事実に着想を得て、グレイスが創作した物語が本書だ。
 波瀾万丈な人生を送ったチャッピーとオリウィアの愛を中心に据え、20世紀初頭から1980年代半ばまでの一族のできごとが綴られるという内容。ダニエル、オリウィア、アキの3人を語り手に据えるという少々複雑な構成と淡々とした文章が、ほどよく謎を残しながら読者を導いていく。
 ダニエルは、マーオリのコミュニティに滞在して母方の家族史を学びつつ、土地に根ざした暮らしを経験することで、初めて自分のアイデンティティを見いだし、展望を得る。そのことに、オリウィアとアキも勇気づけられる。晩年のチャッピーが自宅の庭を日本庭園に造り替えていたことが終盤で明かされるが、そこから結末への導き方が秀逸だ。また、ダニエルが語学に長けているという設定が、日本語を学ぼうという決意に説得力を持たせている。
 慎ましいチャッピーも大らかなアキも魅力的な人物だが、それ以上にオリウィアという女性の魅力が光っていて、引きつけられた。親族が1人また1人と去っていく中、家を守る責任を果たし続けるまじめで健気な働き者であり、その一方で、頑固で分からず屋な一面も見せる。
 オリウィアはきっと、本当はアキのことが好きだったのだろうけれど、船乗りと結婚してもしょうがないと割り切って、アキとエラの結婚を祝福する。だが、エラを連れてくるのではなくアキ自身がハワイに住み着いてしまったことに失望。その後、自分の次女がエラの連れ子と恋に落ちた際には怒りを爆発させる。いろいろなことを我慢して生きてきたが、ときどきどうしようもなくすねてしまうのだ。それでも結局は機嫌を直して流れに従い、誠実に生き続ける。やがて、孫娘(ダニエルの従姉妹)と暮らす幸せを味わったり、チャッピーとの暮らしを取り戻したりして穏やかに過ごすが、再び1人になる。
 そこへやってきた孫ダニエルと1年半にわたってともに過ごすが、そのダニエルもそろそろ去っていくのだと感じた時に、寂しさをこらえようとする様子がたまらなく愛おしい。そしてそのあと、自分も日本に行こうと心をときめかせるというハッピーエンドには、泣ける。自分を犠牲にして一族のために生きてきたオリウィアが密かに抱いていた広い世界への憧れが、最後の最後にはじけるのだ。グレイスの絵本作品『マラエアとアホウドリ』(未訳)では、主人公の女性が死んでからアホウドリに姿を変えて世界へ羽ばたいていくのだが、オリウィアは元気なうちに世界を見る旅に出られるのだと思うと、胸がいっぱいになる。
 既述の人物のほかにも魅力的な人物が多数登場する。マーオリ人、ハワイの先住民、インド人、第2次世界大戦中のドイツ系移民の家族など、それぞれの事情やアイデンティティが描かれていることも興味深い。言葉の壁と、それを超えた結びつきを感じさせる作品でもある。
 白人優位社会での先住民やマイノリティの苦しみも表現されているが、それはグレイスが自分たちの現実をそのまま書いた結果であり、政治的なことを意図したわけではない。とはいえ、白人社会を皮肉っているような部分はある。お金や物質文明に踊らされない強さや素朴さが表れている点も、先住民文学ならではの魅力と言える。邦訳のあるマーオリ文学は数少ないだけに、新鮮さを持って多くの読者に受け入れられるであろう作品だ。
 日本とは特に縁のなかったグレイスが、ふとしたことから興味を持って日本人を題材にしてくれたこと、第2次大戦に関わるニュージーランドと日本の関係にふれてくれたことも、日本人読者としてうれしく思う。

 

【作者紹介】
パトリシア・グレイス
 マーオリ文学を代表する作家の一人。1937年ウェリントン生まれ。マーオリ語を使わない環境で育ったため、母語は英語。教職と子育ての傍らに執筆に取り組み、1975年に短編集 Waiariki を出版。マーオリの女性による初めての単行本として注目された。以来、短編と長編をそれぞれ7冊、ノンフィクションを1冊発表しているほか、子ども向け作品も手がけている。2021年には初めての自伝 From the Centre: A Writer's Life を発表。

 長編の代表作は、PotikiCousins(映画化され、2021年3月公開)、TU など。子ども向けでは、アホウドリと暮らす女性を描いた Maraea and the Albatrosses、戦いの踊りハカの起源を描いた Haka などの絵本がある。

 邦訳された作品は以下の通り。いずれも短編小説。
「空と大地の間で(Between Earth and Sky)」大内祥子訳
          『現代ニュージーランド短編小説集』(評論社)収録
「旅(Journey)」
「かつては緑の(It Used to Be Green Once)」
2作とも百々佑利子訳。「群像」1998年11月号掲載。津島佑子との対談記事も同時掲載。

 ※“Māori” の日本語表記は「マオリ」が一般的ですが、実際の発音に近い「マーオリ」としました。ニュージーランドでも、近年ではマーオリ語を正しく発音しようという考え方が主流になっています。