ニュージーランドの本

児童文学を中心に、ニュージーランドの本(ときどきオーストラリアも)をご紹介します。

★Cousins(仮題『三人の従姉妹』)

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【基本情報】
書名:Cousins(仮題『三人の従姉妹』)
著者:パトリシア・グレイス(Patricia Grace)
版元:Penguin Random House NZ
出版年:2021年(映画化記念版)/1992年(初版)
ISBN:9780143774907  ページ数:256  読者対象:大人

*映画化され、2021年3月にニュージーランドで公開。

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【概要】
 マーオリ(ニュージーランドの先住民)の伝統を守る一族に生まれた従姉妹同士のマタ、マカレタ、ミッシー。それぞれの場所でまったく違う生き方をしてきた3人の再会までの旅、そして一族の絆が描かれる。

【主な登場人物】
ケイタ………マーオリの一族の長老の女性
マタ…………ケイタの長女の一人娘。父親は白人。
マカレタ……ケイタの長男の一人娘
ミッシー……ケイタの次女の娘

【目次】
マタ…………9(三人称)
マカレタ……97(語り手:母ポリー)
ミッシー……153(語り手:死産だった双子の弟)
マカレタ……199(語り手:マカレタ)
ミッシー……219(語り手:ミッシー)
マタ…………239(語り手:マタ)

【あらすじ】
〈マタ〉
 マタは歩いていた。朝早く家を出て、日が暮れてからも歩き続けた。歩き続けていれば、何かを待つことも考えることもない。荷物は母の写真1枚だけ。大通りを歩いていると、深夜バスの乗客と目が合った。知っている顔だ。何十年も前に見た、自分とよく似た顔。相手もマタに気づいた。

 マタは、マーオリ人の母と白人の父のもと、ウェリントンで生まれた。小学校に入学してまもなく、母が結核で入院。父はマタを養護施設に預けて姿を消した。やがて母が亡くなり、マタには法的後見人がついた。養護施設で年下の子たちの世話をしながら学校に通い、卒業すると工場で働き始めた。住まいは後見人に指定された下宿屋。給料はそのまま渡し、下宿先でいいつけられた家事をこなす毎日を送る。工場での仕事はそれなりに楽しかった。親しくなった同僚がマタの暮らしぶりに疑問を抱き、給料は渡す前に少し取りなさいと助言してくれた。さらに、後見人にかけあって、自分の家にマタを引き取ってくれた。おかげでマタは養育費の借金を返済し、後見人と縁を切ることができた。その後、通勤の路面電車で出会ったマーオリの男サニーと結婚。公営住宅で暮らし始める。しかしサニーはほとんど家に帰らず、子どももできず、結婚生活は破綻。面倒を見てくれた同僚は亡くなる。1人になったマタは、養護施設時代の友達に頼まれて、子どもを預かり育てる。数年たってその子が母親のもとに帰り、マタは再び1人になった。誰かが来るのを待ち続けたが、何も起こらず、ただ日々が過ぎていった。
 マタは10歳の時に、母の故郷を訪れたことがある。ウェリントンから汽車で数時間の田舎だ。最初の2晩は、母の妹であるグロリア叔母さんの家に泊まり、ボビー叔父さんと子どもたちと過ごした。粗末な家だったが、グロリア叔母さんはやさしかった。長女のミッシーは、マタより4つ年下。同じベッドで寝ることを快く思われず、会話もほとんどしなかった。
 滞在3日目に、同じ土地にある祖父母の立派な家に行った。祖母ケイタは、マタを見て号泣する。マタの母が亡くなった後、一族はマタを引き取ろうと、さがしにさがしたそうだ。なかなか見つからなかったのは、父親が白人ふうの〈メイ〉という名前で施設に預けたからだった。祖母の涙は、早逝した長女の娘にやっと出会えた感激の涙だった。その家で暮らす少女マカレタは、ケイタの戦死した長男の一人娘でマタと同い年。この家の跡継ぎに選ばれ、蝶よ花よと大切に育てられていた。
 ここではマタの知らない言語が話されており、よくわからないことが多かったが、母の親族に会えたのだと思うとうれしかった。滞在中に、祖父母の家の敷地内で美しいビー玉を見つけたこともあった。腕白な従兄弟にそれをあげたことで、いとこたちのマタを見る目が変わった。やさしい子だということがわかって、一目置かれたのだ。しかし、マタがその地を訪問したのは一度きりだった。

〈マカレタ〉
 マカレタが生まれて間もなく、父レレがヨーロッパへ出征。戦地で命を落としたため、マカレタは父を知らずに育った。終戦の年に母ポリーの希望でウェリントンに移り住み、小学校に入学するが、マカレタはなじめず、故郷に帰って祖父母と暮らす。一族の跡継ぎとして特別待遇を受け、身の回りの世話はすべて婆やにしてもらい、家事を手伝うこともない。その代わり、葬儀などの儀式には必ず連れていかれ、マーオリの伝統を教え込まれた。地元の小学校を卒業後、良い教育を受けるために全寮制の女子高に入学。カルチャーショックを受けるが、次第に慣れて、優秀な成績をおさめる。
 20歳の誕生日には、一族をあげての盛大なお祝いのパーティーが計画されていた。このパーティーが終わったらウェリントンの母のもとに行って、何か手に職をつけよう。マカレタはそう思っていた。ところが、長老たちの意向は違った。一族を取り仕切る祖母ケイタら長老たちは、マーオリの有力な一族の息子との結婚を秘密裏に計画しており、誕生日パーティーにその一族を招いて、2人を婚約させることにしていた。そのことを前日に知ったマカレタは、当日、衣装の準備をしてくれていたグロリア叔母やミッシーに別れを告げて、タクシーで去る。この結婚話にはどうしても納得できなかったのだ。自分の一族を大切に思ってはいるが、まだ時期が早すぎる。

〈ミッシー〉
 ミッシーは、ケイタの次女グロリアの第2子。父のボビーはマカレタの父レレと一緒に出征し、戦地でレレに助けられて負傷帰国した男だ。駆け落ち同然で一緒になったグロリアとボビーは、一族の敷地内の粗末な小屋に暮らして、7人の子どもをもうけた。貧しくも愛のある家庭だった。戦地での経験を悪夢に見て苦しむボビーを、グロリアが支えていた。それを見ながら育ったミッシーは、幼い頃から家事や弟妹の世話をごく当たり前にしていた。
 地元の小学校に入学したミッシーは、マーオリ語は禁止されていて、英語で話さなければならないと知った。中学校では掃きだめクラスに入れられて、まともに勉強を教えてもらえなかった。15歳で退学してホテルで働きはじめ、ハリウッド映画やポピュラーソングに夢中になった。マカレタの誕生日パーティーが終わったら、都会へ出て歌手を目指そう。そんな思いを抱いていた。
 パーティー当日、母たちと一緒に準備していたときのこと。マカレタが、この結婚話には応じられないからと、タクシーで出ていってしまった。それを知ったケイタは激怒し、グロリアを責め立てる。マーオリの伝統を守る両家が準備してきた婚約が破談となったら、ただではすまない。ミッシーは立ち上がり、マカレタの代わりに自分がその男と婚約すると申し出た。16歳だった。

〈マカレタ〉
 20歳の誕生日に故郷を出たマカレタは、ウェリントンに住む母ポリーのもとに来た。見習いを経て看護師になり、懸命に働いた。患者だった男ミックと恋に落ちて29歳で結婚すると、慣例に従って看護師を退職し、翌年に男女の双子を出産。立派な家を手に入れて安定した生活を送る。
 30代半ば、母と一緒に大規模なデモ行進に参加。マーオリの公民権運動の一環で、奪われた土地の返還を求めるものだ(注:1975年に行われた"Land March"と呼ばれるデモ行進のこと)。それ以降マカレタは、マーオリの伝統を叩き込まれて育った貴重な人物として、多くの活動に参加して役割を果たしはじめる。ミックとは徐々にすれ違い、離婚。良き理解者の母は、マーオリ語で教育をする幼稚園コハンガ・レオ(注:マーオリ語復興を目指す流れの中で生まれた試みの1つ)を始めるが、2年ほどで癌に侵され、帰らぬ人となった。子どもたちも成長して巣立っていき、1人になったマカレタは、活動家として多忙を極める毎日の中で、疲労感に襲われるようになった。故郷のミッシーからは、帰ってくるようにと再三言われていた。20歳で飛び出した故郷だが、ミッシーのおかげで、勘当されるようなことにはならなかった。今、故郷ではマカレタを必要としている。ミッシーはそう言ってくれる。
 家を売ることを決めたマカレタは、ある晩遅くにバスで帰宅途中、通りを歩いているマタを見つけた。自分の家へ連れていって食事をさせ、翌日から引っ越しの荷造りを手伝ってもらった。〈以下略〉

【解説・感想・評価】 ※結末にふれています
 自分のルーツや親族をほとんど知らずに育った孤独な女性マタが、10歳のときにほんの短い間だけふれあった従姉妹と40年ぶりに再会して一族の土地に帰り、やっと自分の居場所を見つける——。パトリシア・グレイスが、自身、いとこ、友人たちの経験をもとに創作したこの物語は、グレイスの長編小説の中で、自伝的要素がもっとも濃い作品である。
 1940年代から約50年間という長いスパンで3人の女性の人生を描いているため、読者によってさまざまな味わい方ができると思うが、私は何より、この3人の人柄と生き方そのものに愛おしさを感じた。
 主人公のマタは極度の引っ込み思案で、受け身の人生を歩んできた。美しいビー玉を見つけて目を輝かせるも、惜しむことなく他者にあげてしまうような人だ。
 マカレタは、一族のリーダーになることを期待され、特別待遇を受けて育つが、長老たちが決めた結婚を拒んで家を飛び出し、その後、マーオリ全体のリーダーとしての役割を担うことになる。重い荷物を背負い続けて心身が疲労する中、マタとの再会で安らぎを見いだし、そのあと力尽きてしまう。第4部を締めくくる「今度はマタがビー玉を手にする番だ」というマカレタの言葉は、温かくも切ない。
 ミッシーは、幼い頃には粗野な少女という印象だったが、それだけに、身代わりで婚約するという決断の場面では度肝を抜かれ、彼女の潔さと思いやりの深さに心を揺さぶられた。
 最終章でこの3人が再会する場面は、涙なしには読めない。故郷に帰ったマタの心に大きな変化が起こる様子も、臨場感を持って伝わってくる。
 祖母ケイタのワンマンぶりには、読んでいて不快感を抱いたこともあったが、いま改めて読み、時代背景を考えると、ケイタの厳しさは、一族を守るために身を捧げてきたが故なのだと感じる。白人優位の社会に飲み込まれて多くのマーオリが没落する中を、必死で生きてきたのだ。
 登場人物たちの人生を追ううちに、その背景にあるニュージーランドの社会情勢と、マーオリと白人の価値観の違いが見えてくる。どちらの価値観が正しいとか好みだとかいうことは別にして、マーオリの人びとが独自の価値観を否定され、差別されていたことは事実であり、その部分はストレートに書かれている。グレイスが政治的なことを意識して書いたわけではないにしても、初版刊行当時には、かなり踏み込んだ内容だと受け止められたのではないかと想像する。マーオリの置かれた状況はその後ずいぶん改善されたと思うが、公開されたばかりの映画版ではどのように描かれているのか、反応はどうなのか、注目したいところだ。
 【目次】に記した通り、本書には6つの部があり、それぞれ語り手が違う。当初は3人の従姉妹それぞれの一人称で語らせていたが、変化をつけるために三人称にしたり、別の語り手を据えたりしたそうだ。第3部の語り手が誰なのかわかりづらかったり、そこだけ各章の冒頭に詩が添えられていたりと、少々戸惑うところもあった。また、マーオリの独自性を知らない読者への配慮はあまりされていないので、わかりにくい部分があることも否定できない。しかし、そういった点をしのぐ力強さと深さを持つ傑作である。少々荒削りだからこそ勢いがあるとさえ感じる。
 これまでに邦訳されたマーオリ文学の中で、映画化され日本でも上映されたものに、『ワンス・ウォリアーズ』(アラン・ダフ作/真崎義博訳/文春文庫)と『クジラの島の少女』(ウィテイ・イヒマエラ作/澤田真一、サワダ・ハンナ・ジョイ訳/角川書店)の2つがある。前者では都市に追いやられたマーオリの家族が、後者では海辺で暮らす男性優位のマーオリ一族が描かれている。本書ではまた異なるマーオリの一面を知ることができるという点でも、読む意義は大きい。

【映画化について】
 本書の映画化は1990年代に既に企画されていたが、一度は完全に頓挫した。その後、映画化を強く希望したグレイスが、息子の妻で映画制作者のブライアー・グレイス=スミスに話を持ちかけ、ついに実現した(グレイス=スミスは、脚本執筆、監督、そして大人になったマカレタ役を務めた)。3月3日に行われたワールドプレミアにはグレイスも出席。映画では、時代設定が2004年までに引き延ばされているほか、マカレタが弁護士になるなど、原作から離れている部分もあるようだ。

【作者紹介】
パトリシア・グレイス
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