ニュージーランドの本

児童文学を中心に、ニュージーランドの本(ときどきオーストラリアも)をご紹介します。

★This Mortal Boy(仮題『絞首刑の少年』)

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【基本情報】
書名:This Mortal Boy(仮題『絞首刑の少年』)
     *2019年ニュージーランド・ブックラヴァーズ賞小説部門受賞作品
     *2019年オッカム・ニュージーランド図書賞フィクション部門受賞作品
                          (「オッカム」はスポンサー名)

著者:フィオナ・キッドマン(Fiona Kidman)
出版社:Penguin Random House New Zealand / Gallic
出版年月:2018年  ISBN:9781910709580  ページ数:288(本文275)
読者対象:大人向け

 【概要】
 1955年、オークランドのカフェで男を刺殺した20歳の若者アルバート・ブラックは、故意の殺人の有罪判決を受け、絞首刑に処された。本書はその事実を基にしたフィクション。死刑制度廃止前のニュージーランドで起こった殺人事件と、更正のチャンスを得ることなく処刑されたブラックの短い一生を追う。

【あらすじ】※結末にふれています。
 アルバート・ブラックは、北アイルランドのベルファストで、プロテスタントの両親のもとに生まれ育った。18歳の時に仕事と機会を求めて単独でニュージーランドに渡り、ウェリントンに近い郊外の町で電話ケーブル設置の仕事を得て、ひとまず順調に新生活をスタートさせる。その後、大都市オークランドに移り、中心街に近い下宿屋で暮らし始める。
 1955年7月、20歳になったばかりのブラックは、事件を起こしてしまう。下宿屋でのパーティーで、日頃から相性の悪かった若い男アラン・ジャックに暴力をふるわれ、その翌日にカフェで再びトラブルになったとき、ジャックの首をナイフで刺して殺した。
 当時のニュージーランドでは、murder(故意の殺人)は絞首刑であった。本書では、その裁判の様子を追いながら、事件の詳細や背景を明らかにしていく。現場に居合わせた若者たち、陪審員、弁護士、刑務所の職員、そしてブラックの母親など、さまざまな立場の人間たちの証言や思いが物語を進めていく。
 有罪判決の後、控訴審にわずかな希望を抱いて刑務所生活を続けるブラックは、ガールフレンドだったベッシー(名前は架空)が、自分の子どもを妊娠していることを知る。カトリック教徒のベッシーのために、ブラックはカトリックに改宗。厳格なプロテスタント家庭に生まれたブラックにとって、大きな決断だった。しかし、一度だけ面会に来たベッシーから、赤ん坊は誕生直後に養子に出されると告げられる。
 有罪の確定後、12月5日に執行された処刑の様子は、タブロイド紙 Truth の記者が取材し執筆した記事を引用しながら綴られている。最終章には、執行を報告する電報を受け取ったベルファストの母親の様子と、ベッシーがその後たくましく生きたことが短い文章で記されている。

【感想・評価】
 物語の着地点は最初からわかっているにもかかわらず、最後まで読んで心を揺さぶられた。死刑制度についてここまで考えさせられたのは初めてだ。死刑囚、その家族、友人、裁判や死刑執行に関わる人びとの思いに向き合わされた。
 アルバート・ブラックは確かに不良少年だったようだ。オークランドでは定職に就かず、カフェにたむろして自堕落な生活を送り、複数の女の子と夜をともにした。しかし、根っからの悪人ではない。第2次大戦後のニュージーランドには、戦災孤児を含む多くの英国人が移住してきたが、"Pom"という蔑称で呼ばれ、差別的な扱いを受けていたという事実がある。機会を与えられないことへのストレス、劣等感、そして孤独を抱え、心をすさませていたブラックが、挑発されて怒りを抑えきれずに罪を犯した。この若者が更正の機会を与えられなかったというのはあまりに無情で心が痛む。当時の政府が右翼的かつ保守的で、よそ者や若者への偏見が強まっていたことも、有罪判決の背景にあるようだ。
 処刑を前にして、ベッシーと生まれてくる子どもへ愛情を示すブラックだが、救いの道は絶たれている。それをわかって読んでいるのがなんともつらかった。
 生まれた赤ん坊が養子に出されるというのは、当時のニュージーランドでは当たり前の措置だった。シングルマザーを支援するのではなく、生まれた子どもを養子縁組みによって幸福にするという考えのもとの制度だったようだ。そのことの切なさもあいまって、ベッシーがたくましく生きたという慰めのほかはなんの希望も感じられないままの結末を読み、やりきれない気持ちになった。
 しかし、ただ殺伐とした思いが残るばかりだったのかというと、そうではない。背筋が伸びるような力強さも感じた。それは、著者キッドマンの強い正義感と温かなまなざしによるものだと思う。ブラックやその家族への愛情が、ひしひしと伝わってくるのだ。
 この事件は、ニュージーランドにおける死刑制度の是非を問う議論に大きな影響を与えた。そもそも、殺人罪の死刑は戦前に1度廃止されていたのを1950年に国民党政権が復活させており、大きな矛盾をはらんでいたのだ。1961年の法改正により、反逆罪以外の罪での死刑は廃止となり、その後1989年に、死刑制度が全面的に廃止された。
 キッドマンは、60年以上前に起きたこの犯罪を、murder(故意の殺人)からmanslaughter(挑発された一時の激情による殺人)に格下げすることを求めている。1956年に生まれたブラックの娘と、その子孫のためだ。

【作者紹介】
フィオナ・キッドマン
 1940年生まれ。図書館司書を経て、1960年代後半から執筆活動を始める。長編、短編、詩、ノンフィクション、ラジオ番組の脚本なども手掛けるほか、創作講座の講師、ペンクラブや図書協会の会長を務めるなど、幅広く活躍、貢献している。最近の長編作品に、一族の歴史を描いた All Day At the Movies、女性飛行家ジーン・バッテンの生涯を描いた The Infinite Air などがある。ウェリントン在住。