ニュージーランドの本

児童文学を中心に、ニュージーランドの本(ときどきオーストラリアも)をご紹介します。

★『地下脈系』

 私のもうひとつのブログみちばたの記録で、2014年のニュージーランド旅について書き始めました。クライストチャーチのことを思いだしていたらテンションが上がってしまって、クライストチャーチの作家マーガレット・マーヒーの作品を読み返してみました。とてもよかったのでこちらでご紹介します。

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【基本情報】
『地下脈系』(Underrunners 1992)

マーガレット・マーヒー作 青木由紀子訳 岩波書店 1998年

ISBN:9784001156201  ページ数:266  読者対象:小学校高学年から

*1993年AIM児童図書賞読み物部門受賞作品
*1993年エスター・グレン賞受賞作品

【あらすじ】
 11歳の少年トリスは、半島の突端にある家で父親と2人暮らし。父親には最近ガールフレンドができたが、トリスは心を開かず、何年も前に出ていった実の母親からの便りを待っている。心を許せる友だちもなく、いじめにも遭っているトリスの心の支えは、秘密捜査員のセルシーという空想上の相棒だ。
 ある日トリスは、近くにある〈子どもの家〉の脇の道で、1週間ほど前に預けられたという13歳の少女ウィノーラとフェンス越しに言葉を交わした。2人は、空想上の秘密捜査員の話で意気投合。フェンスの下にシャベルで穴を掘っていたウィノーラがついに敷地の外に出ることに成功すると、トリスは、自分だけの秘密の隠れ家を見せてやった。その一帯は、冬の雨と夏の乾燥のせいでトンネル状に浸食が進み、地下に無数の空洞がある。トリスは、大きな地下空洞のひとつに食料を持ち込んで、危険が迫ったときに備えた隠れ家にしていたのだ。そのあとトリスが、ここのところ何度か、黄色いスポーツカーに乗った男を見かけたことを話すと、ウィノーラは、〈子どもの家〉には帰らないといいだし、トリスの隠れ家で一晩過ごした。ところが翌日、黄色いスポーツカーの男オーソンに見つかって、トリスも一緒に連れ去られ、市街地にある空き家に閉じ込められてしまう——

 【感想】(※少しネタバレ気味です)
 私はこれまで、マーガレット・マーヒー作の絵本や低・中学年向けの物語には親しんできたが、長編のYA作品はちょっと苦手だった。思春期の若者を主人公にしたシリアスな物語に入ってくるファンタジーの要素が、ピンとこないことが多かったからだ。『地下脈系』はリアリズム作品だが、半島の突端に住むという設定やスポーツカーに乗ったあやしげな男の描き方は、少々現実離れしているような気がしていた。しかし、再読を進めるうちに説得力を感じ始め、トリスやウィノーラが抱えている不安やストレスが痛いほどに伝わってきた。
 半島の突端の家は、ギリギリのところで生きていることを暗示しているし、地下空洞は、外からは見えない危険な空間が人の心の中にも広がっていることを象徴している。〈子どもの家〉の名称は、"Featherstonehaugh"と書いて「フェザーストンホー」ではなく「ファンショー」と読むのだが、それも、見た目だけでは中身を判断できないことの例えであろう。マーヒーの大胆な作風に、文学的な深みがあることを初めて実感した。
 また、病んだ大人であるオーソンの苦しみや弱さが伝わってくることにも心を動かされた。思春期の若者の苦悩を描いたYA小説は世界中に数多くあるが、問題を抱えた親たちの気持ちにまで深く共感させられることは、まれだ。結婚せずに2人の娘を育てたマーヒーは、社会との関わりの中でストレスを抱えた自分自身やまわりの人びとを、作品に投影していたのだろう。本書の後半では、銃の発砲、車の暴走、流血と、荒々しい場面が続くが、そのあと、病んだ大人と温かい心を持った大人が向き合うことで決着をつけさせている。そんなマーヒーの温かなまなざしに、しみじみと感じ入った。
 本書の舞台のモデルがクライストチャーチとその近郊であることは、その土地を知る人なら容易に想像できる。マーヒー自身が海を見おろす家に住んでいたこと、近所に〈子どもの家〉があり、その名称がスペルからは想像もできない発音であることを知った上で本書を読むと、巨匠マーヒーの心の中が見えるようで、胸がいっぱいになる。また、「英語圏の作家」と一括りにされて評価されることが多かったマーヒーが、地元ニュージーランドの風土や社会をもとに物語を創り出していたことも、本書が実感させてくれた。マーヒーが発表したほかのYA作品の中にも、ニュージーランドらしさを見つけて考察していきたい。
 マーヒーへの思いが炸裂しすぎて書きそびれてしまったが、登場人物同士のつながりをミステリー仕立てで追う楽しみがあることも、この物語の魅力のひとつである。
 本書は品切れとのことなので、ぜひ復刊を!


【作者紹介】
マーガレット・マーヒー(1936-2012)
 ニュージーランド児童文学を代表する作家。クライストチャーチ郊外のガバナーズベイで、2人の娘を育てながら図書館司書として働くかたわらに創作を続け、1969年に絵本 A Lion in the Meadow(『はらっぱにライオンがいるよ』ジェニー・ウィリアムズ絵/はましまよしこ訳/偕成社)で作家デビュー。数々の絵本や読み物を発表し、1982年と1984年にカーネギー賞を、2006年には国際アンデルセン賞作家賞を受賞するなど、国際的に高く評価された。

 ★マーガレット・マーヒー追悼記事
 http://www.yamaneko.org/mgzn/dtp/2012/09.htm#tuitou
    (やまねこ翻訳クラブのメールマガジン「月刊児童文学翻訳」2012年9月号)