ニュージーランドの本

児童文学を中心に、ニュージーランドの本(ときどきオーストラリアも)をご紹介します。

★Canterbury Quake -- Christchurch, 2010-11(仮題『わたしの街クライストチャーチの震災』)

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【基本情報】
書名:My New Zealand Storyシリーズ Canterbury Quake -- Christchurch, 2010-11
  (仮題『わたしの街クライストチャーチの震災』)
著者   :デスナ・ウォラス(Desna Wallace)
出版社 :Scholastic New Zealand
出版年月:2014年2月
ISBN   : 978-1775431824
読者対象:小学校中学年から
ページ数:176(本文150/解説4/参考写真12/挿し絵なし)
*試訳(部分訳)あります

【概要】
 My New Zealand Story は、歴史的事実に基づいて、日記形式で書かれたフィクションのシリーズ。本書は、2010年から2011年にかけてクライストチャーチで起きた震災を扱っている。日記の書き手は11歳の少女マディ。恐怖に直面し、さまざまなものを失い、悲嘆に暮れる毎日の中で、家族、友達、大好きな合唱などの支えを実感するが、日常を取り戻し始めたかと思うと、大きな余震で再び打ちのめされる。そんな終わりのない不安な暮らしが、少女の視点でつづられた作品。

【あらすじ】
 日記の書き手マディは、小学6年生。両親、ハイスクールに通う姉、5歳の弟と5人で、クライストチャーチ市街から東へ数キロの住宅地に暮らす。学校では合唱部の活動に熱中しており、同じ部員で親友のローラと、デュエットにも取り組んでいる。
 2010年8月に11歳の誕生日を迎えたマディは、さんざんねだっていた携帯電話を買ってもらえなくて、がっかり。そんなたわいないエピソードから始まり、2011年7月までのできごとが語られる。
 9月4日午前4時35分、マグニチュード7.1の大地震に見舞われた。停電で情報もないまま、家族とともに不安なひとときを過ごし、夜明けを迎える。幸い家は持ちこたえたが、煙突が崩れ、家財道具や食器の多くが破損、家の中はめちゃくちゃに。カーラジオで情報を得て、非常事態が宣言されたことを知る。早朝だったことと震源が市街から遠かったことが幸いして死者はなかったが、被災者多数、液状化も多発し、被害は甚大だ。
 この日を境に、マディたちの日常生活は大きく変わる。地震直後は、被災したおば夫妻と母方の祖母が、マディの家に避難してきて、居間に寝袋を並べて寝る毎日。断水でトイレが使えなくなり、庭に掘った穴で用を足す。学校は休校。母は、勤めていた美容室が倒壊し、失業。父は道路整備の仕事をしているため、多忙を極める。なにより、ひっきりなしに余震が起こるため、不安でたまらない。
 その後、水道が復旧し、学校も再開されるなど、状況は徐々に落ち着いていった。9月16日には非常事態が解除され、おば夫妻は自宅へ帰る。母は、自宅のキッチンでヘアカットを始め、お客さんがぼちぼち来るようになった。マディは、思いがけず携帯電話を手に入れた。あくまでも非常用という条件で、両親が買ってくれたのだ。
 10月以降も何度か大きな余震はあったけれど、マディは、小学校最後の学期をなんとか無事に乗り切り、最後の学校集会では、ローラとデュエットを歌って拍手を浴びた。中間学校でもローラと一緒に合唱部に入ると決めて、明るい気持ちで12月の夏休みを迎える。
 クリスマス翌日のボクシングデーは、毎年恒例のバーゲンの日。中心街にあるショッピングモールに家族で出かけたが、買い物の最中に大きな余震に見舞われ、震え上がる。買い物客が一斉に帰途につき、道路は大渋滞。おば夫妻の住む地域では、液状化が進む。
 夏休みが明けた2月、マディは中間学校へ入学した。ローラと同じクラスになれたし、一緒に入部した合唱部もいい雰囲気で、新しい学校生活には希望が感じられた。
 2月22日午後12時51分、マグニチュード6.3の大地震が起こる。学校の昼休み中だったマディは、ほかの生徒たちと一緒にテニスコートに避難して、家族が迎えにくるのを待った。この日の地震は、9月のもの以上に甚大な被害をもたらし、185人の命を奪うことになった。マディたちは打ちのめされる。中心街は壊滅的。市のシンボルだった大聖堂も倒壊。再び非常事態が宣言された。テレビは地震のニュース一色。悲惨な現実を知り、恐ろしくてたまらないが、情報を逃すのが怖くて、テレビから離れられない。
 マディの家は幸い頑丈で、今後も住み続けることができるが、おば夫妻の住む地域は液状化がひどく、どの住宅も危険な状態だ。住民は、近いうちに強制退去となる。ローラの家はもっとひどい状況で、即退去となったため、親戚の住むティマル(*車で2時間ほどの町)へ一家で避難。祖母は、安心できる土地へ避難することに決め、最南端の町インバーカーギルに住む親戚宅へ。ほかにも多くの人がクライストチャーチを去っていった。〈*以下略〉

【感想・評価】※結末にふれています
 日本人留学生を含む多数の犠牲者を出したクライストチャーチの大地震は、私たち日本人にとっても衝撃だった。3年経った2014年2月に出版された本書は、被災した地元住民がどんな暮らしを強いられ、どんな思いを抱えていたのかを、子ども目線で、素直に、そしてリアルに語っている。フィクションではあるが、日付は現実通り、地名や建物も実在のものと、事実に忠実な設定だ。
 11歳のマディを中心に、14歳の姉、5歳の弟、両親、おば夫妻、祖母など、それぞれの世代の事情や、地域ごとの事情の違いも伝えている。損保会社や市当局への怒りを表す大人の様子も描かれ、子ども目線ながら、震災が引き起こしたさまざまな問題を浮き彫りにしている。
 マディは、大災害に直面したことで、家族や友達の大切さに気づいたり、他人を思いやることを学んだりするが、気持ちは日々変化する。大地震の直後は、家族や親戚と寄り添って寝ることに安心感を覚えたのに、何日も続くとうんざりしてくる。家が半壊した親友ローラに心から同情するも、余震のない引っ越し先で新しい友達と元気にやっていると聞くと、嫉妬してしまう。落ち着いた日々が続くと楽観的になり、大きな余震が起こると絶望的になる。そんな気持ちの変化が素直に語られている。
 クライストチャーチとは段違いの被害を受けた東日本大震災の被災者が、無条件に共感できるとはいわないが、自分たちの状況との共通点を見いだすことはできるだろう。そのおかげで慰められ、励まされることもあると思う。被災しなかった子どもたちは、本書を読むことで、クライストチャーチのみならず、東北の被災者にも思いをはせるようになるのではないだろうか。復興への取り組みに興味を持つきっかけにもなり得るし、日本の読者に届ける価値のある作品だ。
 復興途中でこういった本を発表する場合、結び方が難しいと思うが、自身も被災者であるデスナ・ウォラスの書き方には説得力がある。余震がいつ終わるのかはだれにもわからず、マディたちの置かれている困難な状況に終わりは見えない。復興への道は遠く険しい。そんな現実をしっかり見つめたまま、庭で見つけたスイセンの芽という小さな命に希望を感じるという結末に、心がじんとした。

【著者紹介】デスナ・ウォラス
 ニュージーランドの女性作家。クライストチャーチ生まれ。高校卒業後、世界を旅し、帰国したのちに司書となる。現在もクライストチャーチの学校図書館で司書を勤めながら、執筆活動に取り組む。教育雑誌 School Journal で、子ども向けの短編、詩、脚本を発表。本の上梓は本作が初めて。好きな作家はマイケル・モーパーゴ。