ニュージーランドの本

児童文学を中心に、ニュージーランドの本(ときどきオーストラリアも)をご紹介します。

★Holy Days(仮題『聖なる日々』)

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【基本情報】
書名:Holy Days(仮題『聖なる日々』)
著者:ジョイ・カウリー (Joy Cowley)

出版社:Penguin Books New Zealand
出版年:2001年
頁数:184ページ
サイズ:23×15.4 ISBN: 978-0141004167
読者対象:大人向け
*映画化の予定があり、脚本は完成している。
*前半の試訳あります

【本書の概要】
      〜主人公が、8歳だった1980年のできごとを回想して綴る物語〜
 母を亡くして悲しみに暮れるブライアン。父の新しい恋人を受け入れられず、本人も家族も苦しむ日々。なじみのシスターがいる小さな修道院に預けられて安らぎを取り戻すが、その修道院の閉鎖が決まる。神様が奇跡を起こして助けてくれると信じ、ブライアンは祈るが……

 
【主な登場人物】
ブライアン・コリンズ……主人公。5人きょうだいの3番目。1980年当時8歳。
            現代では高校教師で詩人。
ジョー・コリンズ…………ブライアンの父
リズ…………………………父の再婚相手  

3人のシスター
 シスター・アグネス………ブライアンの大叔母。やさしくも厳しい修道院長。
 シスター・メアリクレア…大柄でほがらか。ブライアンのよき話し相手。    
 シスター・ルーク…………最高齢。目が不自由で、心臓も悪い。

【構成】
全14章(章タイトル、目次、あとがき等は無い)
第1章の時代設定は2001年頃。
第2章から第13章までは、ブライアンが8歳だった1980年のできごと。
第14章(最終章)は再び2001年頃。

【物語の舞台】
 主人公たちが住むのは、ニュージーランド北島の町。第9章から第13章では、南島を訪れている。

 

【あらすじ】
〈第1章〉
 詩人で高校教師のブライアン・コリンズは、映像制作会社からドキュメンタリー・ドラマの原稿を依頼され、8歳の時に経験したできごとを書き綴った。しかし、原稿は突っ返される。映像会社の女性は、スキャンダルがあったはずだからそれを盛り込んでほしいと要求するが、ブライアンはスキャンダルを否定し、原稿の書き直しを断った。

〈第2章から第13章〉
 1980年、8歳のブライアンは、1年ほど前に癌で亡くなった母を思って、悲しみに暮れる日々を送っていた。父には早くも恋人ができた。赤いマニキュアを塗ったリズという女だ。姉妹たちはリズと仲良くやっているけれど、ブライアンは口をきくのもいやだった。荒れる気持ちを抑えられず、暴力や悪口で家族を苦しめてしまう。
 そんなブライアンが心安らかになれる場所は、近くにある古い修道院だった。3人の年老いたシスターと一緒にいると、心が洗われ、いい子になれる。初めは「懺悔」の口実を作って訪れていたが、神父の計らいでシスターたちの手伝いをすることになり、堂々と通えるようになった。
 修道院でのブライアンの仕事は、掃除、庭仕事、電気器具や備品の修理などの雑用だ。静かで慎ましい修道院での暮らしが、ブライアンには心地よかった。時代遅れのシスターたちは、日常会話の中で、聖書の言葉や古い詩をよく引用する。シスター・ルークは、高齢のため妙なことを口にすることも多い。しかし、3人とも茶目っ気があり、冗談も好きだ。ブライアンの仕事ぶりは、ほめちぎってくれる。純粋な信仰心を持つブライアンを心から歓迎し、「将来聖職にお就きなさい」と勧めるほどだ。
 そんなある日、父が、これから2、3か月の間、修道院で暮らしてはどうかとブライアンに提案した。修道院長であり父の叔母でもあるシスター・アグネスは、了承しているという。父は、2週間後にリズと結婚するのだ。ブライアンは、死んだ母を思うあまり取り乱し、父を激しく責めた。
 修道院で暮らすことは、ブライアンにとっても本望だった。父とリズの結婚式にも出席せず、現実から目を背けたまま、修道院で寝起きし、学校に通う生活を送る。そこへ悪い知らせが届く。修道院が売られることになったのだ。建物は老朽化し、地域での役割も薄れているからと、司教が判断した。かつては貧しい人々のために身を粉にして慈善活動をしていたシスターたちも、お払い箱となる。今後は、遠くにある別の修道会の修道院に身を寄せるそうだ。ブライアンはショックだったが、奇跡を信じて祈る。「修道院の建物がピカピカになって、売却が取り消されますように」と。神様やイエス様がさまざまな奇跡を起こしてきたことは、聖書で読んで知っている。また、奇跡を起こすためには犠牲も必要だと思い、大嫌いなリズに話しかけるなど、自分なりの努力もした。
 しかし、むなしくも修道院に買い手がついてしまった。所有者だったシスターたちは、弁護士も介さず、安値で売ってしまう。買い手のラヴリッジ氏は、歴史ある建物を取り壊して、商業施設にするという。ブライアンは絶望感におそわれた。奇跡は起こらなかった。大好きなシスターたちは遠くに引っ越し、自分は継母のいる家に帰されてしまうのだ。
 泣きじゃくるブライアンだが、思いがけず、いい知らせを聞かされる。シスターたちが、南島旅行に誘ってくれたのだ。ちょうど学校も夏休みなので、これまでのお礼に、雪をかぶった山まで連れていってくれるという。そう、ブライアンは、雪に憧れていた。電気技師として南極に滞在していた父から、真っ白な雪と氷の世界の魅力を聞かされていたからだ。また、シスターたちは、遠くの修道院に身を寄せるのはやめて、この近くに家を買い、これからも3人で暮らすことにしたそうだ。それを知ったブライアンは、この上なく幸せな気持ちになる。奇跡というのは、祈った通りに起きるのではなく、ちょっと違った形でやってくるものなのだと知る。
 しかし、旅行の準備をするシスターたちを、人々は白い目で見る。世間の相場を知らないシスターたちは、中古のワゴン車を言い値で買った。運転するのはシスター・アグネスだ。運転免許を持ってはいるものの、時速40キロ以上は出さない。それに、今は夏だから、南島にだって雪はない。あるとしたら、3000メートル級の山の上だ。シスターたちは車で行くと言っているが、不可能だ。ブライアンは、そんな現実を父から聞かされ、少しばかり不安になるが、シスターたちは、神様に祈ったのだから何も心配はないという。〈*以下略〉

【感想・評価】※結末にふれています
 穏やかで温かい作品。純粋無垢な少年と高齢のシスターたちのふれあいがほほえましい。悲しみや苦しみから逃れることはできないけれど、誠実に生きていれば、すばらしいこともたくさんあると教えてくれる。主人公は子どもだが、大人の心に響く物語だ。
 第11章で、雪山で遊んだ後、これは奇跡とは違うのではないかと問うブライアンを、シスター・アグネスが諭す場面が、最も印象的だった。ヘリコプターを予約したことも奇跡の一部なのだとシスター・アグネスは言う。奇跡とは、科学を超えた魔法のようなものではなく、日常の小さなできごとが積み重なり、思わぬときに思わぬ形で起こるすばらしいできごとをさすのだ。ろくでもない人間がその一因になってくれることもあるし、悲しみや苦しみも、大切な要素となる。これは、宗教を超えた普遍的な考え方といえるだろう。著者ジョイ・カウリーは、キリスト教徒として生まれ育ったが、大人になってからキリスト教に疑問を感じ、他の宗教について積極的に学んだそうだ。そして、どの宗教も根っこの部分は同じだと感じ、それならば、自分にとって最も身近なキリスト教の信者として生きていこうと決めた。いまでは敬虔なカトリック教徒として教会に積極的に関わっているが、他の宗教の価値観も認めている。そんなカウリーの思いの代弁者であるシスター・アグネスの言葉は、宗教を超えて読者の心に届くだろう。
 シスター・アグネスが修道院に入るときに何よりつらかったのは、タバコをやめることだったというエピソードなども盛り込まれ、生身の人間としての魅力も感じさせてくれる。シスター・メアリクレアとシスター・ルークの個性や素顔も、さりげなくも魅力的に描かれている。3人の老シスターからは、苦しみや悲しみも、そのまま受け入れて生きていくことを教えられる。常に穏やかなシスターたちだが、修道院の閉鎖が決まったときには、悲しみを隠せなかった。でも翌日からは普段通りに戻って、当たり前のように今後の生活の準備を始めている。世の中には抵抗すべきこともあるけれど、黙って受け入れるしかないこともあるし、受け入れることで前に進めることもあると思う。このシスターたちの生き方は、特に人生の後半を迎えた読者に心に、じんわりとしみていくことだろう。不安の多い現代だからなおさらだ。
 ブライアンは、人一倍素直で純粋な子どもだ。幼いながら敬虔なキリスト教徒で、聖書に書いてあることは、すべてそのまま受けとめる。天国での母の暮らしを具体的に想像しているし、「ルルドの泉」の奇跡や、キリストが病人を癒すことも、そのまま信じている。そんなブライアンの健気さが、読者の胸を打つ。修道院が売られてしまい泣きじゃくる場面は、涙なしには読めない。その後、自分の祈りが少し違った形で叶えられたと知る場面は、『ハイジ』を彷彿とさせる。フランクフルトから山へ帰してくださいという祈りが、時間はかかったけれど、最高にすばらしい形で叶えられたと神様に感謝するハイジの思いと共通しているように思う。大人になったブライアンは、聖職にも就かず、現実的な人間になっているが、お金のために信念を曲げるようなことはしない。最終章のブライアンに、少年時代の純粋さを感じ、読者は温かい気持ちになれる。
 この物語の中で最大のできごとであるシスター・ルークの死を、シスター・メアリクレアは、悲しいけれど美しいことだと表現する。少年ブライアンも、取り乱すことなく、シスター・ルークの死を受け入れる。ここにもカウリーの思いが強く表れている。カウリーは、多くの作品で、「死」は恐ろしいものではないと書いてきた。命は果てても、愛する者の心の中で生き続けるからだ。母の死を誰よりも嘆き悲しんでいたブライアンは、シスターたちと暮らすうちに心がいやされ、雪山で至福の時を過ごした後、シスター・ルークの死を穏やかに受け入れたのだ。
 父やリズの心情はあまり書かれていないが、ブライアンとのやりとりや、ブライアンから見た様子などから、誠実な人間だということがわかる。一連のできごとの後、自宅に戻ったブライアンが、家族との暮らしになじんでいったことは想像に難くない。
 他に興味深い点として、風光明媚なニュージーランドの中でも、とりわけ美しいマウント・クック周辺の景色を味わえることや、ブライアンがシスター・ルークのために読んであげる新聞記事に、1980年の世相を見いだせることなどがあげられる。
 ラストシーンは非常にあっさりしているが、これがジョイ・カウリーの作風なのだ。他の作品でも、大団円を避け、さりげない終わり方や、くすっと笑える落ちで結ぶことが多い。そして、このあっさりした結末は、主人公ブライアンの「マスコミを喜ばせるようなことを書くつもりはない」という信念と一致している。シスター・アグネスが息を引き取る様子を書けば、涙なみだの感動的な結末にすることもできたのに、あえてあっさりと話を結んだカウリーの作風に、私は大きな魅力を感じている。
 カトリック信者であるジョイ・カウリーが書いたこの作品には、カトリックの専門用語が数多く使われているため、日本の読者がつまずかないように、訳し方を工夫する必要があるだろう。しかし、この作品にこめられた「奇跡」への思いは、宗教を超えて伝わると、私は信じている。

【作者紹介】
★作家として
 ジョイ・カウリーは、ニュージーランド児童文学を代表する作家。2016年国際アンデルセン賞作家賞候補者。1936年に生まれ、高校時代からローカル紙に記事を書くなど、執筆業に関わる。農家に嫁ぎ、子育ての傍らに創作を続け、1960年代から作家として活躍。当初は大人向け小説中心だったが、その後、小学校の教材として子ども向け作品を書くようになり、ニュージーランドとアメリカで高く評価される。絵本や読み物も数多く出版し、現在も活躍中。
大人向けでは、1965年発表の短編 "The Silk" (邦題『絹』小野木淳子訳)が邦訳され、『現代ニュージーランド短編小説集』(百々佑利子監訳、評論社刊)に収められている。2012年に映画化され、アメリカやカナダの映画祭で、短編映画の賞を複数受賞した。ほかに、1999年発表の長編 "Classical Music"、2010年発表の回想録 "Navigation" (いずれも Penguin Books New Zealand)などがある。

★キリスト教徒として
 子どもの頃はプロテスタント(長老派)の教会に通っていたが、20代から30代にかけて、キリスト教に疑問を感じ、距離を置く。仏教、ヒンドゥー教、イスラム教など他の宗教について学んだ結果、どの宗教も根っこは同じであるという思いに至り、自分のルーツは、慣れ親しんだキリスト教にあると悟る。40代後半でカトリックに改宗し、現在は敬虔なキリスト教徒として、教会での講演なども行っている。